どんな建物が修復されたか? 修復前の姿をみてみましょう。

伝統的な構法・様式で建てられたいわゆる「古民家」での事例

大須戸の家(修復前)
大須戸の家(修復前)

新潟県内全般でよく見かける茅葺きのうえにトタンが葺かれた民家。茅葺職人が少なくなり茅葺き屋根の手入れにも事欠くなかで、なすすべもなく空き家のまま放置されていた民家がどのように修復されたのでしょうか。

 

こたえはこちら>>>http://blog.livedoor.jp/niigata_sumai/archives/51456364.html

別山の家
別山の家

新潟の郊外、地方や郡村部でよく見かける田の字型間取りの築50年の民家。家族数も少なく、冠婚葬祭も外で行うことが多くなった今の時代、使わない部屋が多くただ広いだけの家を壊すべきか迷われていたご夫妻。その家がどのように修復されたのでしょうか。

 

こたえはこちら>>>http://kino-ie.net/hasegawa-junichi/index.html(上2枚の写真)暫定アップ

一般住宅における事例

西山の家
西山の家

築年で20年以上前の家といえば、台所と居間は別々、料理をする部屋や食事をする部屋と居間(リビング)は別々という間取りが当たり前。 家族のだんらんを対面キッチンで料理を作りながら、あるいはリビング&ダイニングでというのは、まだ最近のことだったのでしょうか?

大家族で介護の世話の必要な親夫婦、そして子供の両方の面倒を見なくてはいけなかった、この家を守るご夫妻としては、居間、食堂、台所の一体化はまさに暮らしの必要条件。 「解体建て替えをするには、資金の余裕なし」と語られていたご夫妻の選択は・・・>>>http://blog.livedoor.jp/niigata_sumai/archives/52133628.html

 

西港の家
西港の家

 築20年2度にわたる増築・リフォームを繰り返されたところで大地震に襲われた家族3人の家。 地震による被害もさることながら、増築によって段差が生じたり、壁も柱も複雑に配され、家事動線も複雑になってしまっていたこともあり、一度は解体を考えたこともあったという。 

 しかしながら足腰の弱った母は、地震後も避難所には行きたがらず、壊れたままでもいいからこの家で暮らすという。 困っておられたところでつながったのが、地域の地縁力だった。 

 増築の繰り返されたなかで破綻した部分もあった構造の不具合を、期せずして露呈させた震災。 ここで諦めるのではなく、「建物の人間ドック入りさせましょう」と、慎重に調査を重ねて、間取りも意匠も再デザイン! 耐震化を図りながら風通しと回遊動線を両立・確保させながら修復することができました。

 完成後の写真はこちら >>> http://blog.livedoor.jp/niigata_sumai/archives/52133966.html

尾頃部の家
尾頃部の家

こちらも震災に遭遇して全壊判定を受けながら、仮設住宅に入居することなく住み継いだ住まい。 水廻りとそれにつながる居間食堂リビングについては、経年変化もあってこの時期に造り変えようとというところは合意を得つつ、理想に近い修復再生を遂げた。 地震によって天井からは空が見えるような状況であったが、もしこの家を解体したら、同じような家は二度と建てることはできないと、修復を決意された。 

 

 

 

 

 

 

 

完成後の写真は>>> http://e-renovation.jimdo.com/%E4%BF%AE%E5%BE%A9%E4%BA%8B%E4%BE%8B-works/ の一番下です。

マンションの快適リフォーム (レトロな古民家風&ネオジャパネスク)

 

(上記のほか、ただいま情報集約編集中)